こんにちは、まじめちゃんです。
今回は受験失敗と、そこから私が学んだことについてお話しします。
私が学んだこととは、理想通りにいかなくてもそれは失敗ではない、ということです。
なぜそう思うようになったのか、どのよう経験を経たのか、そのお話をしたいと思います。
受験失敗、無気力な時期へ
高校進学後、勉強だけではない同級生たちの存在によって、「このままじゃダメなんだ」と思わされました。
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3年間部活や学校行事を楽しみつつ、勉強にもいそしみましたが、結果的に第一志望には落ちてしまいました。
私はその大学の学部に行きたくて、そこだけを目指していたので、落ちたときはとてもショックでした。
たくさん泣きましたし、なかなか気持ちの整理がつかなかったです。
浪人はできない身だったので、滑り止めの大学に入学しました。
入ってしばらくは無気力で、「どうして私はここにいるんだろう?」「本当は○○学部に行きたかったのに…」という思いが渦巻いて消えませんでした。
でも、ある時ふと思ったのです。
「あれ?私のやりたいことって、ここだとできないんだっけ?」
陳腐な言い方ですが、私は世界で活躍できる人になりたいと思っていました。そのための第一歩として、英語を使いこなせるようになりたかったのです。
私が目指した大学の学部は、すべての授業が英語で行われ、海外からの留学生の割合が高く、さらに1年間の留学が必須となっていました。
確かに、英語での授業や留学生がたくさんいるグローバルな生活はその学部ではないと難しいかもしれません。
でも、留学は?
私は大学の事務所や担当教授に相談し、1年間の留学を果たすことができました。
残念ながら1年間の留学だけでは、英語がペラペラ、とまでは行きませんでしたが、
今でもどうにか英語を使いながら仕事をしています。
理想にすがらない。理想通りではない=失敗、ではない
明確で強い理想を持っていると、それが叶わなかった時、すべて失敗と思ってしまい、打ちのめされてしまいがちです。
私の受験についても、そうでした。
あの大学のあの学部に入らなければ、なりたい自分にはなれないと思っていました。でも、違うのです。
理想通りのプロセスではなくても、理想には近づけます。
確かに、ある道を経なければなれない職業もあります。
例えば、医師はわかりやすいでしょう。
医師になるには、医学部に通って、試験をパスし医師免許を取得しなくてはいけません。
医学部に入れなかったり、医師免許を取得できなければ、医師になることはできません。
でも、医師にならなければその人のやりたいことは本当にできないのでしょうか?
なりたい自分にはなれないのでしょうか?
もしその人が「誰かの命を救いたい」と思って医師を目指したのなら、もしかしたら研究者でもいいかもしれません。
「誰かの支えになりたい」と思って医師を目指したのなら、カウンセラーでもいいかもしれません。
思い通りのプロセスじゃなくても、なりたい自分に近づければ、万事OKとは思えませんか?
大学3年の終わり、1年間の留学を終えてしばらくした私にサークルの友達が、こう尋ねました。
「ここに入ってよかった?」
私はこう答えました。
「最初は入りたかったところじゃなかったから、正直複雑な心境だったよ。だけど、留学もできて英語もそこそこしゃべれるようになったし、ここに入ったからみんなに会えたし、今はこの学部に入って心からよかったと思ってるよ」
そう伝えた時の友人の笑顔は、今でも忘れられません。